五反田えぬのベッドの下

将棋Vtuber 五反田えぬのこと

将棋Vtuberの推し要因 -体育の授業の応用-

 

私が受けた体育の授業

体育が嫌いだ、体育のせいでますますスポーツが嫌いだ、運動できる人間が我が物顔で運動神経悪い人間を蹂躙するくせ、そういう人の方が体育の点数も高い、というような怨嗟の声はたまにTwitterでバズってる気がします。

 

そういう事態への対策だったのだろうと思いますが、私の高校の体育の授業で先生はスポーツが苦手な生徒でも自尊心が傷つかない工夫をしていたのだなと、今になって思い出しています。(たぶん。他の高校の体育を受けたことがないから比較できない。)

ま、当時Twitterやってる人はいなかったのですが。

 

チーム分けの仕方とかそういうことに関しても工夫があったと思うのですが、ここで私が紹介したいのは点数のつけ方です。

先生がつける点数というのは生徒同士のヒエラルキーに大きな影響があります。バスケの授業で常にボールを支配し無双するバスケ部に5点をつけ、彼らに蹂躙されシュート1本どころかパス1本も通らないスポーツ苦手生に3点をつけたりしたら悲惨です。点数というお墨付きでその状況が肯定されてしまい、その子今後一生バスケットボールを憎んでしまうでしょう。

 

私が受けた体育の先生の点数づけの方針は、(そうと明言していたわけではありませんが)「漫然と出した良い結果より、そのスポーツのキモを理解して取り組んだ生徒に高得点を」でした。……わかりづらいですね。

具体的な話をしましょう。

 

その時の体育の授業は走り幅跳びでした。跳び方を一通りレクチャーした後、先生はこういう説明をしてくれました。

走り幅跳びのキモのひとつは助走と踏み切りだ。数センチの記録を競うのに、いくらジャンプがよくても踏み切りがラインから何十センチも離れていたら大きなロスだ。かと言ってそこを合わせるために助走を緩めては意味がない。選手たちがやるのはジャンプの練習だけでなく、緩みのない助走でピッタリ踏み切れるように自分の歩幅を把握しスタート位置や加速のしかたの微調整を繰り返し何百回も踏み切りの練習をする。そして本番には踏み切りラインを見ることもなくピッタリ踏み切る。

だからこの授業での評価ポイントは踏み切りの良さだけだ。ジャンプの記録は関係ない。

全力で助走して踏み切りのロスが靴一足以内になるように測定会までに練習しなさい。

そして実際に、踏み切りの練習をサボって大ジャンプを披露した運動部の生徒よりも、その子なりの全力助走からロスなく踏み切りを披露した生徒に良い点がつきました。ジャンプ自体はしょっぱかったのですが、本当に関係なかったのです。

この考え方をとても私は気に入っています。

体育の授業の意義はスポーツがうまくプレイできるようになることではないと思います。そのスポーツにどんな醍醐味や難しさがあるか理解し、選手たちがどんなことに腐心しているかを知ること。そしてそれを通じてスポーツ自体や選手をリスペクトしスポーツと生徒の人生に(それをプレイすることに限らず)良い接点を持つきっかけを与えることなんだと思います。

だからこそ走り幅跳びの授業では踏み切りというキモにフォーカスして、走り幅跳びの難しさや選手の努力を体験し理解を深めた生徒に高得点をつけようとしたのでしょう。

 

同様にバドミントンの授業での評価ポイントは、相手が打つ瞬間しっかり両足をつけてどちらにも踏み出せるようにしながらラケットを立てて構えることでした。持久走では自分の体力を把握しペースを乱さずに走りきること。ドッヂボールでは相手が投げるときに両手で膝までをカバーして構えること。ハンドボールではシュートコースを開けずにしっかり両手を上げてディフェンスすること。剣道では防具を正しく着け、打突したら残心の構えをとること。

いずれも基本中の基本ながら意識を怠るとできないことですし、授業で習わなければ一生知らないまま、それらのスポーツにさしたる関心を持てないままでした。

運動神経にもあまり関係がないので皆を平等に評価でき、まさに体育の授業で教え評価することとして相応しいものだったと思います。

 

最近の学校の授業がどのようになっているか知らないのですが、そんな考え方がどこの学校でもあるといいなと感じます。

 

将棋Vtuberも体育の生徒

さて、せっかくなのでこの話を将棋にも展開したいですね。

 

私たち将棋Vtuberは結局のところアマチュアで、プロのような良い棋譜を残す「アスリート」ではありません。もちろんいつも頑張って指していますし、その結果V棋戦などで視聴者の方に満足いただける対局をお見せできることもありますけど、その主な価値は棋譜のクオリティではないでしょう。視聴者の応援を受けて精一杯頑張って指したというストーリーに(あるいはストーリーが伴った棋譜に)主な価値があります。

私たちは将棋に人生を注ぎ込んでいるわけではなくて、ただ週に数時間〜数十時間余暇の時間を使って将棋に触れているだけ。アスリートとしてではなくて体育の授業として将棋をやっているようなものです。

そんななかで視聴者は、そして私は将棋Vtuberの何を評価しましょうか?評価するというと不遜に聞こえますが、平たく言うと特定の将棋Vtuberを推す要因は何になりましょうか?

……と考えたときに、やっぱり強い弱いではなく「将棋のキモを理解して取り組んでいるVtuberに高得点(推しポイント)を」となるのかあ、なんて思います。もちろん違う考えの方もたくさんいるでしょうし、将棋どうこうの前にVtuberとして話の面白さとか企画の面白さとかリアクションの良さとかの方が重要なのでしょうけど。

でも私は一視聴者として他の「将棋」Vtuberを推すときの基準はそこに置きたいし、将棋Vtuberとして自分は先生(視聴者)にそこを見られているのだと前提をおいて高得点をいただけるように活動したいなと思います。

 

将棋のキモ

将棋のキモって何でしょうか。

技術的なことではなく、マナーとかでもなく、なるべく良い将棋を指すための基本にして意識すれば誰でもできる大切なことって何でしょうか。

これまた十人十色の答えがあるでしょうけれど、私の場合は「時間をちゃんと使って考えること」かなって思います。

15分秒読み60秒の将棋なら、勝負どころだと思ったところで立ち止まって何分か使って考える。秒読みになったら取る一手のところでも50秒ぐらいまでは使って先の展開を考えておく。棋力が高いとか低いとか関係なく、そうやってどんな時も一生懸命考えるVtuberの方を見ると、「あっ、良いな」って思います。

私にとって将棋の醍醐味はお互いに考えて、考えて考えて考えた読みをぶつけ合って勝ちを目指すことです。それを洗練させるためにプロ棋士は日々トレーニングしています。私たちアマチュアはそのトレーニングに費やせる時間は決して多くはありませんが、それでも対局の場で精一杯読むことはできます。読みのクオリティがどうであれ、プロ棋士にだって負けないぐらい頑張って読もうとする意志は持てるはず。そうしようと思えば絶対できるはずなのです。そしてそれが伝わっているからこそ視聴者の方は時間を割いて(クオリティの高い将棋ではなかったとしても)将棋Vtuberを観てくれているのではないかと思うのです。

だから私は時間を使ってよく考える将棋Vtuberを推したいなという気持ちになります。どんなに下手でも、時間をフル活用してできるだけ考えようとする意志があったら100点です。

 

ま、ここらへんの考えは本当に人それぞれでしょう。

あくまで私の一視聴者としての推し基準のひとつはこうだよ、という話です。もちろん基準は他にもたくさんあります。

そして(自戒も込めて)ちゃんと時間を使って考える姿勢を忘れないようにしたいし、そういう姿も含めて応援してもらえたら嬉しいな~という話です。

(実際、五反田えぬはV棋戦では詰みを完全に読み切るか時間攻めしないと勝てない場面以外では残り10秒以下になるまで考えるようにしています。普段の配信でもなるべく。)

 

まとめ?

長い時間をかけて書いたり消したりしてるうちに言いたいことが散らかってきちゃったかもしれません。結局は実力に関係なく頑張ってる人を応援したいし、Vtuberとしてはやれること精一杯やって指そう!という当たり前のことを言ってるだけかもしれないですね。

まあとにかく結論は「みんな、将棋を指すときは時間を使って考えよう!」です

 

そんな感じで。みんなも良き推しライフを!良きVtuberライフを!